数年前少し触ってから放置していたブログを再開することにした。
理由としては、内に秘めた感情を発散したいから。
しかしTwitterでは一目に触れて「こいつこんなイタいやつだったのかよ」と思われるのが怖いので誰も見ていなそうなここに書くことにした。
しかし、誰にも見られないのは少し寂しい。
つまり面倒くさい人間ということである。
承認欲求は得られたいが知り合いには知られたくない。この場合の発散方法を誰か教えてほしい。
まずこのブログを再会して最初に行ったことは
「過去の記事の削除」である。
自分が書いた記事を見て思ったことは恥ずかしいである。
誰にも見られてはいないとはいえよくもこんな恥ずかしい記事を書けたなと思った(ただの感想や日記ではあるが)
これがTwitterだとと思うとゾッとする。
なぜ他の人の感想ツイートは見るのが好きなのに、自分の感想を見るのはここまで恥ずかしくなるのか。
無難なツイートしかできない自分も他人ようにはっちゃけるようなツイートをしたいと思ったが、自分には無理だと実感した瞬間だった。
逆に言えばなぜ他の人はあんなツイートをして恥ずかしくならないのだろうか。
自分に自信を持っているのだろうか。
そう考えると日本人はみんな自信なんてないという噂も虚像に思える。
弱音ツイート吐くやつなんか自分に自信のある人しかいない。
自信がない奴は自分の弱い部分なんて曝け出せない。
自分はよくあまりボケないねとか、モノマネとかしないとか言われたりする。
自分は自信がなくあまりテンションが高くないつまらない人間なんだなと思っていたが、
結局そういう行為をするのが恥ずかしいたけかもしれない。
テンション高い人は面白く、憧れでもあるが、
それと同時になんで恥ずかしくないんだろう?とも思ってしまう。
自分もたまにテンションが高くはっちゃける時があるが、そうなると注目が集まり急に怖くなる。
嫌われるのが怖いからである。
よく合わない人だっているんだから気にしなくてもいいと言われるが、やはり嫌われているんじゃないかと思った時の胸の締め付け用は思い出したくない。
先ほど言ったテンションが高い状態、
これは諸刃の剣であると思う。
ウケる、面白い人間になる一方、
目立つ分嫌われるリスクも高まる。
防御力0の状態である。
ここで攻撃をされて瀕死になるのを恐れて、
あまり目立たないように生きているんだなと
飲み会を経験して思った。
先ほどの話に戻るが、
前のブログの記事が恥ずかしかった理由は
敬語
おちょくるような文体
だったからである。
まず敬語。
〜しました。
この文だけで何か嫌になった。
何故なのだろうか、どう考えても尊敬していない敬語を使っている上辺のように見えたからだろうか。とりあえずこのブログで敬語は禁止することにした。
おちょくるような文体
ちょっと小ボケを挟むような文のこと。
ちょっとウケ狙って面白いと思われたいと見え透いた。
何故自分の小ボケだけは許せないのだろうか。
単純に面白くないからだろうか。
このブログはふざけたおちょくる文ではなく、
日頃思っているが人には話せない鬱憤などをとろする場所として使っていきたい。